キャラバンに別れを告げ、再び悪路を突っ走る。

「ホントに何もないな」

抜けるような青空と茶色い大地。延々とそんな景色が続く。最初は感動したその景色も、過酷な道程が続くと飽きてくる。

「な、そうだろ。これがチベットの醍醐味なんだ」

何が「醍醐味」だ。
あんた、さっきまで寝てたじゃねーか…

どれぐらい走ったのだろう。よく覚えていない。かなりの高地も走った。5000メートル近い峠も越えた。空気が薄くなると、体が重くなる。車の振動が頭にガンガンと響き、どうしようもなく辛い。

ガイドといろんな話をしながら気分を紛らわしていた。次の宿泊地、ラツェにたどり着く直前まで、Ｏさんと喋った記憶はない。Ｏさんが延々と寝ていたからだ。時々、目を覚ましてはエラソウなことを言うのだが、すべては覚えていない。

当初の予定ではラツェ着は夜になるはずだった。午後７時か８時の予定だったように記憶している。
ただ、チベットは日照時間が長いので、午後７〜８時といっても、まだ夕方のように日が高い。

ラツェに着く少し前、ガイドが振り向いて話しかけてきた。
「あと１時間ほどでラツェに着くよ」
まだかなり日が高い。そこでようやくＯさんと言葉を交わした。

「やけに早く着きましたね」
「そうだね。もっと時間がかかるはずなんだけど…」

時計を見てみると、まだ正午ごろだった。

おかしい…

いくら予定より早く着いたとしても、８時間近くも短縮できるほどスピードは出していない。ガイドと話してみた。
「ちょっと早すぎない？」
「ん〜…。確かに…」
ガイドも疑問を感じたようだ。

僕は日程表を取り出し、チェックしてみた。

「あ、サキャが抜けてる…」

チベット仏教には４大宗派があり、サキャというのはそのうちのひとつ、「サキャ派」の総本山なのだ。大規模な寺があるらしい。ぜひ寄ってみたい場所のひとつだった。Ｏさんも僕と同じ思いだったようだ。

「なに！　サキャに寄り忘れたのか！」

突然の大声に僕とガイド、ドライバーの３人は驚く。

寝てたくせに…

僕はガイドに言ってみた。

「サキャに寄るの、忘れてない？」

するとガイドは僕の手にあった日程表を見て「あ…」などと言う。
「どうする？　どうしても行きたいか？　今から行こうか？」

しばらくは僕とガイドの会話が続く。当然、Ｏさんには何の話をしてるのか分からない。

「今から行くとすれば、どうなるの？　Ｕターンするの？　それともちょっとわき道にそれるだけ？」
「Ｕターンすることになる」
「どれぐらい時間がかかる？」
「片道４時間。往復で８時間近くかかる」
「どこで曲がらなきゃいけなかったの？」
「出発して１〜２時間ぐらいのところ」
「４時間じゃ無理じゃないの？」
「飛ばすから大丈夫」
「飛ばしても平気な道か？」
「いや、平気じゃないけど…」

じゃダメだろ。危ないだろ。

「いいよ、無理しなくて。俺もＯさんも忘れてたんだし、仕方ない。それに時間がかかりすぎる」
「本当に構わない？」
「構わない。このまままっすぐラツェに向かおう」

今日は本当に辛すぎる。予定通りサキャに寄っていたならともかく、今からさらに８時間以上も走るなど、想像もしたくない。仮に低地であっても、１日12時間以上も車に乗り続けるのはイヤだ。

ガイドと僕でそういう結論に達してから、Ｏさんに伝えた。

「なんで！　なんで寄らないんだ！」

「ここから片道４時間ですよ。それでも平気ですか？」

「平気とか、そういう問題じゃなくてさぁ、金払ってんだよ！　金を！　サキャに寄るために余分に払ったんだよ！
寄らないなんて信じられない！」

確かに、一番最初に送られてきた日程表にサキャは入っていなかったかもしれない。旅行代理店と交渉して組み込んだ場所が他にもいくつかあったので、サキャもそのうちのひとつだったかもしれない。逆に、費用を削るためにルートから削除した場所もあることはあるが、基本的に当初案よりは多く回るので、多少の追加額を払ったことは間違いない。

だが、全員が忘れていたのだ。今さら仕方ないではないか。ガイドはわざと通過したのではない。それは「引き返そうか」といった言葉からも分かる。

「Ｏさん、ガイドは引き返してもいいって言ってます。僕は今日はちょっとしんどいんで、いったんラツェで降ろしてください。あとはＯさんがどうするか、交渉してもらえばいいです。僕はラツェで寝てるから」

「どうやって交渉すればいいんだよ」
「どう、って普通に…。サキャに行ってくれ、って言えばいいだけで…」
「何語で喋ればいいんだよ」

英語に決まってんだろーが！
中国語やチベット語が喋れるのかよ！

「そりゃ、日本語は通じないから英語ですけど…」

「そんなこと、分かってるよ！」

じゃ聞くなよ…

「行くまではいいよ、行くまでは。『サキャに行け』って英語で言えばいいんだろ。それぐらい喋れるからさ」

おい。本当だろうな…

「問題は行ってからだろう。
向こうに着いてから何語で喋ればいいんだよ！」

だから、英語に決まってんだろーが！

何語で喋るつもりだ！

「英語しかないんじゃないですか？　ある程度は観光地化されてるはずだし、通じますよ」

「そういう話をしてるんじゃないだろ！」

じゃ、何の話をしてるんだよ…
わかんねーよ、全然。

「向こうに行って何すりゃいいんだ」

観光…では？
違うの？

「僕はラツェで休憩してるんで、Ｏさんが望むところに行けば…」

「だから、そういう話をしてるんじゃないって言ってるだろ！」

もう、分かんない。本当に分かんない。

「英語力に不安があるなら、先に僕に言ってくれればガイドに伝えておきますけど…」

「英語ぐらい喋れるよ！　バカにしてんのか！」

ハイ。してます。
喋れないじゃん、実際のところ…

「じゃ、どうします？」

「どう、って…。どうしようもないじゃん…」

じゃ怒るなよ。全員が忘れてたんだから仕方ないじゃんよ。

「でも、払った金はどうなるんだ？」
「そりゃ、ガイドが忘れてたわけだから、旅行会社と交渉すれば返してもらうことは可能だけど…」
「じゃ、そうしよう」
「でも、ガイドだって悪意で忘れたわけじゃないんだし、サキャに関しては僕も完全に忘れてたし、ガイドは引き返してもいいって言ってるけど、僕が断ったから請求する気はないんですけど…」

Ｏさん、キレました。

「なんで断ったんだよ！」

「いや、僕が断っただけで、Ｏさんが行きたいなら行けます。ただ、僕は乗り気じゃないから、ラツェに…」

「君がラツェに寄ったら余計な時間がかかるじゃないか！」

と、言ってるうちにラツェに着いてしまった。

ガイドは申し訳なさそうに僕とＯさんに謝る。
「今からでも、行けって言うなら行くけど、どうする？」

Ｏさんに通訳し、「どうしますか？」と聞いてみた。

「もういいよ！　でも金は返してもらわないと」
「僕は今回に関してはこっちにも落ち度があると思うんで、交渉するならＯさんが…」

「そんなの、どう言えばいいのか、分かんないじゃないか！」

「pay backでいいと思うんですけど…」

「そんなの、分かってるよ！
英語でどう言えばいいのか分からないって言ってるんだ！」

…「pay back」は英語じゃないのか？